「 I か We か」日本と欧米の違い

コミュニケーション

欧米の方々とお話をしていると、価値観が違うな、と感じることがあります。私が前職で「憧れの商品」のコンセプトを検討し、「モノづくりから憧れづくりへ」という発信を検討していた時、そもそも「憧れ」とは、人種や時代にかかわらず、根本的に人それぞれではないかという議論がありました。

憧れの商品とは例えば、レストラン、シェフのこだわりの味覚を再現できる調理器具、映画監督やミュージシャンが求める、映像や音が楽しめるAV機、生涯続く美しさを求めての美容機器だったり、普遍的に思える価値観の基づいて定義はしてみるものの、その少し先を表現しようとするとどんどんバラバラになっていきます。そうして結局。「憧れ」って何?ということに戻ってしまうのです。

確かに我々、日本人にとっても、欲しいものがいっぱいあった時代から、より快適、高機能を求めた時代、ほぼモノは充足して、何か特別感のあるモノやコトを求めるようになった時代と変遷してきているのが分かります。これは個人の暮らしでも、同じような過程があると思います。ましてや歴史や環境が異なる別国となるともっともっと多様化します。

その時、ブランドのグローバルコンセプトとして発信しようしていましたので、動画のコピーの主語は「ブランド」か「私たち」にならざるを得ないと思っていましたが、これがまた議論を呼ぶことになるのです。

欧米のメンバーからは「私たちの憧れ」というのは、「存在しない」ぐらいの意見が出てくるのです。

何か説得する手立てはないものかと思案しましたが、ある時から根本的な価値観が違うのではないか、と思うようになりました。

司馬遼太郎の日本人についての特集をNHKで見たことがあります。できるだけ短い概要は以下の通りです。

”日本人のルーツは坂東武士という、鎌倉あたりにいた農家で武士であった人々。坂東武士は「名こそ惜しけれ」と言って、つまり恥ずかしいことはするな、というのがポリシーだったとか。鎌倉幕府は武士の作った幕府、貧しい者たちで作り上げた幕府でした。農民に畑の所有を認めさせ、精神的に自立を促せた。公を意識した政治のあり方が始まり、農民たちをまとめ上げる武士に対して、農民からきちんと敬意を払ってもらうには、と武士としてのあり方が示されました。

朝早く起きる。遅くに起きると何もできないし、だらしがないと思われる。など。司馬遼太郎は武士、特に幕末の武士道は人間としては少しいびつだけれど、人間の芸術品と称しました。その流れで、明治も政治家たちが痛々しいほど清かったそうです。たった4年で日本中に郵便の仕組みが整えられたり、学校ができたりと、これは各地方の有力者に中央政府が公務として仕事を与えたことが受ける側は誇らしく、公のためにと急速に普及したらしいのです。しかし、戦争期は個を殺して公に。とい形が出来上がる。お上のために、お国のために。”

私なりに考えてみますと、日本という国はそもそも資源に恵まれていない、台風や地震という天災も多く、歴史的に大飢饉も起こってきたという決して恵まれた環境ではなかったと思います。でも極東の島国だったために、比較的、他国の侵略からは免れてこれた。小さなところで肩を寄せ合うように暮らし、頻繁に起こる災害から身を守るためには、人と人とのつながりを自分という個より大切にする「調和」が必要だったのではないか。そうしなければ生きていけなかったのではないか。それが「日本人とは」に対する私の今の考え方です。

欧州では地続きの国境があり、絶えず他国の侵略に身構える必要がありましたし、私見ですが日本ほど天災が頻繁ではないと思います。家もしっかりと外界と隔てる石造りです。日本の家は自然、庭との調和を大切にした木造建築。日本人が「私たち」を使いがち、欧米人は「私」をよく使うのは、そんなDNAが影響しているように、私は思うに至りました。時代とともにそれも変わるかも、今は少し変わっているかもしれませんが、皆さんはどう思われるでしょうか?

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