2011.3.11は、多くの方にとって、そして私にとっても忘れられない日です。幸い私の家族は無事でしたが、実家から数百メートル先まで津波が迫っていました。その時に考え始めた活動をご紹介します。
~東北の子供たちへ希望のメッセージを贈ってください。~2011年12月15日~
3月11日、日本の三陸沖にマグニチュード9.0の大地震が発生し、東北地方の沿岸部は津波により壊滅的な被害が発生しました。東日本大震災後、私自身が仙台市宮城野区出身ということもあり、日々、被災地の方々にできることはないかと考え続けて参りました。5月になって、幸い大きな被災はなかった実家に帰り、また被災した友人たちとも会う機会も得て、被災地の実態も目の当たりにしました。津波に直接、のみ込まれた地域の復旧は、なかなか進まないものの、5月になってやっと満開になった桜は少なからず被災した方々を勇気づけているように感じました。
実は日本では8年前から植樹を行うプロジェクトの一環として、桜の苗木を幼稚園や小学校に贈る活動を行ってきました。2003年以降、桜の苗木を贈呈してきた宮城県、岩手県の幼稚園、小学校の中にも、被災した学校や園がいくつか存在します。今もなお、子供たちが戻っていないところもあります。
今後、いつ再建されるか、私にはわかりません。しかしながら、被災した学校周辺にはランドセルを背負い、瓦礫の横を通学、通園する子供たちの姿がありました。
子供たちは不安の中で暮らしていると感じました。 さらに福島第一原発事故の影響で屋外に自由に出られない子供たちも未だ存在します。被災地の復興を支援するために、やらなければならないことはたくさんありますが、その時、ひとつの企画を立ちあげることにしました。東北の小学校や幼稚園に桜の苗木を贈るプロジェクトです。復興の長い、困難な道のりを歩み始めた被災地で暮らす方々にとって、桜が希望のシンボルになってくれればと願っています。 しかし桜の苗木はわずか1.5m~2mぐらいの棒切れのようなもの。花が咲くのは3~5年後、成木として満開の桜で皆を楽しませてくれるまでには、20年かかるとも言われます。 そこで子供たちへのメッセージを募集して、桜の苗木と一緒におくることを考えました。WEBやfacebook、twitterでメッセージを募り、ひとりのメッセージをひとつの桜の花にして、希望のメッセージで満開にします。メッセージの桜をポスターやタペストリーにして子供たちに贈ろうと考えました。
被災地が冬に向かう10月から募集をスタートしました。桜を贈るのは、震災からちょうど1年後の3月。2012年1月まで、みなさんから、希望のメッセージを募集しました。
そして2012年4月21日、私は福島県久之浜第一幼稚園跡地へ向いました。いわき市のあちらこちらにある桜は満開を迎えています。あの桜はちゃんと咲いてくれているんだろうか?樹木医の方は生きているから大丈夫、と言ってくれていたので、さほど心配はしていませんでした。その分、期待は膨らんでいたのです。結果はご覧の通りでした。満開の桜ではありません。華やかさはありません。でも生きています。ささやかに花が咲いていました。蕾もたくさんありました。その場で偶然、青木園長先生に出会えました。
「寒さが続いて、今年は桜が遅いんです。なかなか花が咲かなくて心配していたんです。久之浜は風が強いし、この桜は一度、潮をかぶっていますから…あの幹が分かれているところまで、波を被ったんですよ。本来なら満開の後につける緑の葉もたくさんあるでしょう。」その時、タクシーが止まり、中から初老の方が出てきました。「お!咲いているじゃないですか。奇跡の桜が!先週、来た時にはまったく花がなかったのに。」
その方はNGOの方で様々な被災地の様子を見て歩いているそうです。今日は、東京からわざわざ奇跡の桜を見にきた、と言います。「わかるでしょう、いつの間にかみんなが奇跡の桜、希望の桜って呼ぶようになって、枯らすわけにはいかないんです…」
そして樹木医の方に写真でいいから、見てもらいたいと園長先生に依頼されました。
3.11 流されなかった桜にやってきた2度目の春でした。
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